10 Jun, 2005「成田へ」
■ワールドチャンピオンなのに...

機内に入ると、パリを出るときと同じように、
まだ通路は荷物の整理で立ったままの人が多い。
ようやく席の方に行くと、先ほどの女性たちは居ない。
一瞬、自分の席に違う人が座っていると思ったら、番号が違った。
2〜3列戻り自分の席を改めて確認。
今度は窓側の席で、通路側には既に二人が座っている。
席の真上の棚にリュックを入れようと思ったら、既に満杯だったので、
真ん中側の開いていた棚に、iBookを取り出したリュックを入れる。

隣の席の人の顔を見ず、あまり意識せずに、
「Sorry, I'm sorry. Thank you.」と言って足を避けて貰い、
席に着いたところで、隣の二人が日本人であることに初めて気づく。
「...って言うか、日本の方ですよね?(笑)」
全然話せない英語だと言うのに、
だれかにちょっとぶつかったりすると、すぐにSorryと言うクセが (^^;
これが「Scusi」で無いところが、また微妙に悲しかったりする...。

50代半ばだと言う隣の夫婦は、
福岡にお住まいの方で、南アフリカ8日間のツアーの帰りと言う。
周りのシートに座っている人たちは、みんなそのツアーの参加者のようだ。

香港国際空港を定刻通りに離陸する。成田までは4時間と少し。
このお二人は、きっと途中下車したい気分だろうなぁ。
往復4時間分、成田〜九州間を無駄に飛行機に乗る訳だ。

席に着くときに話掛けてから、ほとんどずっと話をし続けた。
気さくなお二人。
海外旅行は何度も経験があるようだった。
片手の範囲とは言っていたが...。
奥さんの方が少し経験は多いらしい...。普通はそうかもしれない(笑)

僕が一人で自由に旅していたことを知り、盛んに羨ましがっていた。
もう自分達の歳ではその元気が無いし、そういう経験も無い....と。
まぁ、確かにその国の人と触れ合うチャンスは、
添乗員付きのツアーだと圧倒的に減るかもしれない。
お二人も話していたが、何もかも添乗員の人が世話をしてくれて、
言葉のことも含め、外国に居る不便さを感じないと、
海外に来ているという実感が若干薄まるらしい...。
しかも同じツアー客はみんな日本人。
ただ南アフリカの場合、自由旅行は治安上難しい気がするけど (^^;
それにガイドが居ないと解らないことも結構ある。
自分が有名な観光スポットの隣に居たことに、後で気付くとか....(笑)

どうも僕のことを20代後半くらいに思っていた様で...。
丁度そのくらいの息子さんが居て、同じくらいに見えたらしい。
まぁ、格好と行動からすると、確かにイイ大人には見えないと思う(苦笑)
「来年40です」と言うと、相当驚いていた。
残念ながら本当です。

お二人はイタリアにもパリにも行ったことがあるらしく、
僕が行った先の話をすると、自分達の思い出も交えて話を聞いてくれた。
ただ、いずれもツアーでまわったときの思い出なので、
僕のなんの脈絡も無い行動とは相当印象が違う様で...(笑)

南アフリカは南半球なので、当然今は冬。
しかも喜望峰なんて最南端にも行ったようで、かなり寒かったらしい。
アフリカは暑い.....というステレオタイプなイメージがあって(僕も)、
かなり現実とギャップがあった様で...。
ただ、食べ物は予想外に毎日凄く美味しかったらしくて、
さすがにツアープランはその辺りを気を遣っているみたいです。
イグアナの肉とか....。
へぇ〜。そうっすか。
あんまり羨ましくない(笑)

さすがに海外旅行慣れしているだけあり、
旅行用の使い捨ての下着を使ったり、
少し古いTシャツなんかは現地の人にあげたりして、
日ごとにスーツケースの中にお土産用空間は増していったのに、
どこに行っても買うものはなく、
帰りのスーツケースの中はスカスカになってしまった...と。
南アフリカはダイヤモンドの有名な原産地ではあるんだけど、
お土産にダイヤ.....なんて雰囲気は何処にも無かったと。
当たり前か...。

僕がイタリアのグランプリを見逃したという話したら、
隣のお父さんはバイクのことは知らないけど、
オートレースがとにかく好きだと。
なので、元WGP125ccクラスの世界チャンピオンで、
最近オートレーサーに転向した青木治親君のことをよく知っていた。

僕は治親君のお兄さんの拓磨君のことを個人的にちょっと知っていたので、
弟の治親君のこともなんとなく親近感を持っていた。
だから、元WGPチャンピオンであり、しかもまだ若い彼が、
落ち目でも無いのにオートレーサーに転向だなんて、
日本はなんてバイク文化の無い国だろう....という思いがあった。
ロードレースからオートレースへの転向という話も、
それまでまったく聞いたことが無かったので....。
治親君がオートレースのデビュー戦で優勝したこともニュースで知って、
やっぱりオートレースは格下で、そんな所に居る彼は可哀想だな...と。
ところがその後何勝かはしたものの、中々苦労しているようだ。
どうやらGPレーサーならオートレースなんて話にならない...とうのは、
僕の間違った認識だったらしく...。

普通、オートレーサーになろうという人は、
「年収はどのくらい?」と最初に聞くのに対して、
治親君の場合は、「何歳まで現役でいられるか?」と聞いたそうで。
ロードレースに対してオートレースを格下に思っていた僕は、
彼自信より彼の過去の栄光にこだわっていたみたいだ。
今、彼は、彼の実績や人気も生かしつつ、
オートレースもロードレースも、ひとつのモータースポーツとして、
世の中的な認知アップのために頑張っている模様。
例えば競馬がメジャーになったように。

(ところで今年の鈴鹿8時間耐久、2年振りに治親君がロードレースに復活。
 見事3位表彰台獲得で、8耐参戦過去最高位とのこと。おめでとう!
 川口オートで8耐参戦の壮行会をやったという、なんだか嬉しい話も。
 →青木治親オフィシャルサイト

ちなみに彼が所属する川口オートには、元SMAPの森 且行さんも居て、
クラスが違うみたいだけど、相当上のレベルで活躍しているそうで。
(オートレースのことはまったく解らないんだけど...)

香港を出たときからずっと雲は多かったけど、
日本の本土上空辺りからは雲のガードが掛かっているかの様で、
まったく陸地が見えない。
既に沖縄は梅雨入りしたみたいだよ...という話をI君から聞いていたので、
もしかすると今日は他の地域も梅雨に入ったのかもしれない。

午後2時。着陸体制に入り快晴の空から厚い雲の中へ...。
どの辺りを飛んでいるのか外を見てもまったく解らない。
結構長い間、雲の中を飛んでいる。
さっきまでの眩しいくらいの青空が嘘の様。
視野が開けたと思ったら雨だった。
地面はすぐ側。
雲を抜けてからほんの1〜2分くらいで滑走路が見えたと思ったら、
ほとんどその瞬間に着陸。

10日振りの日本の地。
10 Jun, 2005「成田へ」End.